top of page
レタッチ後.jpg

奥能登500年の伝統技法
「揚げ浜式製塩
を続けたい

DENEN(珠洲市長橋町)の塩作り復活応援プロジェクト

奥能登塩田復興支援金のお願い

令和6年の能登半島地震による施設の損壊、海面の隆起等から操業困難となっている「奥能登の揚げ浜式製塩」の復活を目指し、支援金を募ります。

加賀藩政期から続く、奥能登の揚げ浜式製塩。今や、日本国内でこの地にのみ伝わる伝統的技法による塩作りです。中でも、珠洲市長橋町のDENENは、生業としての取り組みを続けている数少ない塩田なのです。

群青の日本海を背にきらめく潮撒きは、奥能登の夏場の風物詩といえます。冬ともなれば逆巻く日本海の波濤にじっと耐える風情の塩田が、能登の自然に溶け込んだ景観を創り出します。揚げ浜式塩田は、そこから生み出される貴重な海水塩のみならず、四季を通じ奥能登になくてはならない象徴なのです。

s240214-DSC_0672 のコピー.jpg
読売新聞提供
27F7F202-FF4B-476B-8308-60F92A2E1355.jpg

その姿が一変しました。塩田には無残な亀裂が入り、海岸線は沖合へ100㍍近くも遠のきました。元のように海水を汲み上げ、塩田に潮撒きできるようにするのは至難です。それでも、DENENの皆さんは中巳出理さんを中心に、絶対に続けると、復活の道を懸命に模索しています。

塩田の再整備はもちろん、沖合100㍍からの海水の汲み上げは、前例のない大掛かりな復興事業になると思います。塩作りの歴史を繋いで行こうというDENENの熱意を受け、復活の取り組みを後押しするための支援金を募ります。皆さんのご厚意をお寄せいただきますよう、よろしくお願いします。

IMG_3854.JPG
P1130787.JPG
のとFood Studies
会長
稲垣  渉
伝統の揚げ浜式製塩法の復興を誓う

令和6年の元日に能登半島を襲った大震災で、DENENの塩田は地割れによる亀裂が生じ、海底隆起で100m近くも海岸が沖に移動してしまいました。間近だった青い海は、一面、露出した白い岩に覆われ、これまで見たことのない光景に言葉もありませんでした。しかし、一変した浜の様子を見つめるうちに、何としても500年の伝統を誇る製塩法を次世代に繋ぎ、奥能登ならではの塩田の景観を取り戻したいとの強い決意がこみ上げてまいりました。

先の見えない挑戦になるかもしれません。どうやって海水を汲み上げたらいいのか。私どもの力のみでは到底、成し遂げられない大きな費用がかかる復興事業になりそうと途方に暮れる中、のとFood Studiesが支援の輪を繫いでくださるということで、只々感謝の思いでいっぱいです。

 

能登外浦には、かつて100軒以上の塩田を営む家々が有りました。それが、昭和34年、国の規制により角花家一軒を残し、すべての塩田が姿を消したのです。1997年に塩の製法は自由化されましたが、自然の力に翻弄され、過酷な労働を伴う揚げ浜式製塩法は容易に復活しませんでした。

そんな中で、角花家が繫いできた能登の揚浜式製塩の技術は2008年に国の重要無形民俗文化財に指定され、さらに、2011年に「能登の里山里海」が日本初の世界農業遺産となったときに認定基準の一つとされました。

 

今や、奥能登の揚げ浜式製塩は、日本の伝統的技法による塩づくりの「最後の砦」なのです。この伝統の製塩法を途絶えさせてはならない、能登半島の独自の風景でもある塩田を守らねばとの思いから、DENENはこの地で揚げ浜式製塩に取り組んできました。

奥能登の塩田による塩づくりは、自然の恵みを受けながら、夏の炎天下で働く能登の人たちの技術と情熱、忍耐力に支えられています。重労働だけれど自然と一体になって作り上げる塩は、能登そのものなのです。

能登の復興は、塩田の再生と揚げ浜式の塩づくりの復活抜きには終わらないのです。

奥能登の揚げ浜式製塩の灯を、決して消さないという強い思いで取り組みます。

 

どうか、伝統の揚げ浜式製塩法の復興を後押ししていただけますよう、皆様のお力添えと応援をよろしくお願い致します。

sign.jpg
株式会社Ante
代表取締役

支援金振込先

北國銀行 
大聖寺支店 普通預金55645
口座名義:のと Food Studies
    
 (ノトフードスタディーズ)

※領収書は振込の際の控えをもって替えさせていただきます。

※手数料については、各金融機関の窓口でご確認下さい。

プロジェクト支援フォーム

皆様からの温かいご支援とご協力をお願いいたします。

ホームページ等でのご氏名等掲載について
bottom of page